不明のものがたり

なんでもあり

元書店員のひとりごと

 

 

諸事情があって私が以前勤めていた本屋さんをgoogleで調べた。

するとレビューのようなものにお客様として来店された方々からの文句に似たコメントがたくさんあった。

 

本音を言えば個々にそれはこういう事情があってですね、と言いたかったが、そうするわけにもいかない。

なにせ少しもやもやしてしまったので、ここでひとりごととして吐き出したいと思う。

もし、見てくれた方が書店に足を運んだ際に、ほんの少しだけこういう事情もあるのだなと汲んでくれたらとも思う。

 

 

 

※ここからはあくまでも私が勤めていた書店での話や、事情になるので参考程度にお願いします。
尚、どこの書店かなどという特定行為などはおやめください。

 

 

私が勤めていた書店はTHE 地元の本屋さん、という感じだった。

本はもちろん、CDや文房具、近隣の学校の用品なんかも取り扱っていた。

 

近隣では珍しく、夜遅くまで営業するお店だったこともあり、お客さんもよく来てくれていた印象だった。

また、取り扱う商品は定番のものから、流行っているかも、みたいなものまであったので、幅広い年齢層の来店があった。

 

 

よく言われることや聞かれることからここではひとりごとを書いていきたい。

 

 

書店員の仕事について

そもそも書店員ってなにしてんの、というところから。

 

基本はレジと商品整理やってます。

書店によってやることはそれぞれ違いますが、ここが基本なので。

 

あとは問い合わせ対応だったり本当にいろいろ。

商品知識があればもちろん有利というか、てきぱき対応できるが、

全員が全員同じ知識レベルではないのでそこは申し訳なさを感じつつどうか寛大な心で、という気持ち。

 

 

ブックカバーについて

カバーをかけるかどうか、店員さんが聞いてくることは割と通例であるが、中には書店に来る度に聞かれていてうんざりだという人もいる。

 

ぶっちゃけ言えば、まあ、マニュアルだから仕方ないよね。

あなたがどこでどんな頻度で買うか知らないもの。

という感じである。

 

常連さんであれば最初は伺うことはあれど、顔を覚えてしまえば

あ、この人カバーいらないって言うもんな、とわかってくる。もしいるのであれば向こうから声かけてくれることもあるので。

 

逆に言えば聞かれたくなければ最初から言ってくれとも思う。

カバーいらないです、と言ってくれればそのまま普通にお会計しますので。

 

また、いる人の中にも自分でカバーをかけたいという人も一定数いる。

珍しいことではないので、その時は「カバーはいるが、自分でかけたいので袋の中にいれてください」と言ってくれれば時間もかけずに済む。

 

稀にコミックを大人買いする人に出会うが、その全てにカバーをお願いしますと言われた時はちょっと焦ります。何人か応援を呼んで対応しますが、ちょっと時間ください!と思うので、焦らせたりしないでくださいね。

 

 

ブックカバーに付随して言いたいことが一つ。

書店ではよくコミックなどにビニールがかかっていたりすることがある。

あのビニールを剥がさず売ってくれ、ということも何度もあったが、結論から言ってそれはできない。

書店によっては、なのかもしれないがあの中に防犯タグのようなものが入っていて、それを取らなければシステムが作動してしまう。

じゃあ、そのタグ、レジに通した時点で無効にすれば?ということも言われたが、そのタグにいくらかかってると思ってんだ。というのが本音。その分をお客様が出してくれるならいいですよーって思ってしまうが、そういったことは言えないので理解してもらう他にない。

 

最近、というか数年前から講談社という出版社ではあらかじめコミックにビニールがかかっている状態で書店に届くようになった。

中にはこんなビニールかかってちゃ立ち読みができないだろ!とか、何巻まで買ったか思い出せないから中を見せてくれ、という人もいたが、それは全てお断りです。

全出版社があらかじめビニールをかける、ということはなかなか難しいことでもあるので、もし商品不良の際は一言声かけてください。

 

 

 

欲しい商品が無い時

書店に行っても自分が欲しかった漫画が無かった。あそこは品揃えが悪い。などという声もよく聞いた。

とてもよくわかるし、とてもすみません、とも思う。

 

ものすごく売れている漫画なら確かにどこでもあるかもしれないが、

ものによってはやはり置いてある書店とそうでない書店とあるのは事実だ。

 

大きな書店ならば豊富に取り扱っているかもしれないが、街の本屋さん、といった規模の店には無いか…と諦めて帰ってしまう人ももちろん多くいた。

 

 

そういう時はぜひ書店員に声をかけて注文をしてほしい。

 

なんでかっていうと本屋さんで買ってほしいから。

そう言うと自分たちの給料のためかとも言われることがある。本音を言えばそれもある。

でもそれ以上に出版業界って今、儲からないから、というのが一番。

電子書籍の普及がすごいし、なにより出版社側でそんなに本を作っていないというのもある。

 

実際、利用する立場側からすれば本屋さんに注文しても受け取るまでに結構な時間がかかる。

ものによっては出版社から取り寄せとか、出版社側に在庫が無いなんてこともよくある。

だからam●zonとかで注文したい気持ちもよくわかる。

(なんなら勤めてた間にちょっとそこでは注文したとバレたくないものに関してはam●zonに頼ってた)

定価よりちょっと安い時とかあるんですもんね、そりゃ利用しますよね。

 

でも!!なるべくでいいから!!!

本屋さんで!!注文して買ってください!!!!!

 

 

ここからは本屋側の意見ですが、

やっぱり、本屋さんって在庫を多く持ちたくないのが本音。

店の規模だって限られてるし、売れないものをいつまでも置いてはおけない。

 

本屋さんだって売れるもの置いて、売りたいって思ってる。

そうじゃないと儲からないから。

 

でも出版業界が不況であることも含め、本屋さん側で何が売れるかあんまりわからないのもある。

先見の明がある経営者さんやお店の店長さんなどもいるのは事実ではあるが、どこにでもいるわけじゃない。

 

何が言いたいかって言うと、

みんなが買っていくもの = 売れているもの

だから無い時とかは注文して、そうか、これが売れている(需要がある)のかと本屋さんに教えてください。

 

本屋さん側もそれがわかれば今後はこの漫画の続きを入荷しようかなとか、いろいろ検討できるし、なんならします。

 

 

というわけでぜひ、本屋さんにこの本置いてくれという小さなアピールを含めて注文してください。お願いします。

なんなら次巻から定期的に買うとか言ってもらえるとすぐストックできるので。

 

 

定期購読について

まず結論から一言。

定期購読してください!

 

定期購読ってたまに注文があるけど、結構雑誌とかが多い。

雑誌には定期購読の案内とか買いてあったりするからなのもある。

 

定期購読の利点は絶対に入荷をするという確証がある、というところ。

 

以前あった話だが、ある雑誌を毎月買っていた人がいた。

ある時その雑誌の入荷が無くなってしまった時があり、買っていたその人の悲しそうな顔が忘れられなかったということがあった。

 

これは入荷数に対し、購入数が割りに合わず入荷を止めてしまったことや、

たまに別の店でその雑誌を買っていたそうで、そういう時が結構続くと売れていないという判断になってしまい、入荷が無くなったということが原因だった。

 

それを防ぐという観点でも定期購読をしてもらえるととても助かる。

 

 

もしかしたら店舗によってかもしれないが、漫画や文庫もできないことはない。

例えば〇〇って作家の△△シリーズの最新刊が入荷したら連絡してほしいな、とか。

それだけでそのシリーズの入荷を積極的にするのはもちろんのこと、絶対に在庫を取り置きして連絡するので、もしそういう人は活用してほしい。(詳しくは近くの書店などに確認してやってもらってください)

 

 もう一度言いたいこと言っておきます。

 定期購読してね!!!

 

 

書店員が嫌なこと

稀にTwitterなどのSNSで、本屋に行って〇〇したら書店員から注意されたんだけど!まじありえない!むかつく!みたいなものも見たことがあり、書店員側の立場からすると当たり前なんだよな、と思うことも。

なのでここでは個人的に嫌だと感じることを書いていく。

 

以前見かけたのは

棚に欲しいコミックの巻が無かった。以前、書店員に声をかけたら棚の下を開けて探していたから、今回もそうだと思って開けたが、注意された。なんで。という話。

 

商品在庫は確かにそういった所に入れることがほとんどだ。

良かれと思って、みたいなことかもしれない。気持ちはわからなくはない。

でも、勝手に開けないで欲しい。お店の人が管理するためにもお客さん側で勝手にそういう行為をされるのは注意の対象となる。

お店の商品在庫って勝手にお客さん側がやっちゃうのはどうなの、とも思うし、人の家のもの勝手に漁る行為に等しいと思う。

 

とりあえず、在庫の有無も書店員がちゃんと確認するんで、そういった行為はやめてください。

 

 

それから、雑誌や、書籍の立ち読みについて。

立ち読み自体は基本的にOKです。でも読んだからには買ってほしい、というのが本音。

もともとは全てを売り切るつもりで書店に入荷をしている。でも何人もの人に立ち読みされ、くたっとした雑誌とかを好んで買いたいという人はほとんどいない。

最後の一冊がそういったものになり、これの新しいものはないのか、と言われたこともある。簡単に交換できればいいのだが、出版社との事情など諸々含めなかなかそうはいかない。

だから、どんな内容があるか、を一通り確認したら買うようにできればしてほしい。

もちろんその内容が思っていたものと違うから買わなかったというようなこともあって構わないが、どうか綺麗なものが欲しい人の手元に渡るよう、そういったこともしてくれればという願いだ。

 

ただ、これだけは許していないのが、

内容を写真に撮ってSNSにあげるなどの行為。

 

私が勤めていたところではというのもあるが、基本写真を取ることは禁止している。

特に多いのは雑誌の中身を写真に撮る人。

撮影のみなら法には触れないが、それをSNSにあげたり、他人が閲覧できる状態にすれば著作権的にアウト。だからといって私的利用ならばいいだろと買わずに撮るのもやめてほしい。

わりとアイドルとかが好きな若い女の子がそういったことを知らずにやってしまう印象だ。若いから教わっていないのも無理はないし、これだけ写真やSNSが当たり前な社会ではわかるが、知らずに法に触れてしまわないよう気をつけて欲しいとも思う。

 

 

 

 

 

 最後に

 

 

 

何が言いたいかって総括してしまえば、

書店で買って欲しい!!!

ということと、

わからないことや商品に関することなどは書店員に聞いて!!!

ということだ。

 

 

 

正直この先も私が勤めていたところも含め、本屋さんが儲かることも、なんなら存続するかどうかもわからない。なにせ出版業界も含めて不況だから。

でも本や雑誌が欲しいという人も結構いるのは事実だし、まだまだ買ってくれている人もいる。

 

もしかしたらこれを読んでくれた誰かの中にも思い出の一冊があるかもしれない。

思い出の雑誌があるかもしれない。

 

そういった本が一生手に入らないなんてならないように、

そういった雑誌が休刊にならないように、

 

どうか、どうか、

書店で買ってください。

 

 

それだけをとにかく言いたかった。

 

そんなひとりごとでした。

 

 

 

 

 

 

星と海と不安定な私と、

昔から好きなものがある。

冬の夜空、それも星がキラキラと輝く澄んだ空。

 

昔から大嫌いなものがある。

夏の海、プールなどの水がある場所。

 

もしかしたらそれらはこれから先の人生で変わって、海が好きになるかもしれないし、逆に星が嫌いになるかもしれない。

だけど今のこの不安定でグラグラ揺れる私の好きと嫌いを結びつけてくれたのは

サカナクションだった。

 

 

 

子供の時、夜はあまり好きではなかった。母が夜の仕事をしていたために、家にいなかったから。もちろん家族はいたし、それなりに騒がしい家庭だったので、孤独ではない。けれどずっとどこかに何かが足りない気分でいた。

いつのことかは覚えていないけど、当時の家のベランダから星がきれいに見えたことにふと気づいた。でもあれは確かに寒い冬だった。星は静かに私の寂しさを隠すように照らしていた。

今思えばそんなことはただ夜空の星を見ただけの情景に過ぎないし、星だってわざわざ私だけを照らすために輝いているわけじゃない。なのに当時はびっくりするほど寂しさは消えてわくわくする気持ちが私を支配した感覚だった。

今でも星座の形や、星に詳しいわけじゃない。ただ、見ていることが好きなだけだ。

 

 

私の生まれた時からのコンプレックス。天然パーマであること。

幼い頃の写真を見てもどれもこれもくるくるした頭で、嫌だった。なにより家族としては存在していることに異議はないが、私に数々のトラウマを植えつけた父親からの遺伝というのが許せなかった。

小学校ではそれだけでずっとからかわれ続けた。負けないように必死に戦ってはみたけど、髪は気持ちでどうにかなるものではない。なによりどれだけ頑張って家でマシにしても、時間が経てばひどくなる。特にプールの時間の後は何もしないで時間が経った時以上にひどくごわごわと毛の1本1本が縮れるのだった。

ずっと母は私がそれをコンプレックスだとわかっていて、卒業式の前に縮毛矯正をかけてくれるよう美容室にお願いしてくれた。結果としては数日で戻ってしまうものの、それから数年は母のお金で矯正をかけさせてくれた。今は自分で払って好きなタイミングでかけられるし、ヘアアイロンもあるから昔よりかは今の自分が好きではある。

ただやはりクセが強く出ている時期はどうしたってやってくる。なにせ元のうねり具合がすごいから。そういう時期は余計に水を嫌う。だからこそ夏の水辺は嫌いなのだ。

 

 

 

そういう寂しさも、自分へのコンプレックスも、忘れさせてくれたのはテレビだった。

ある時テレビから気になる歌声が流れた。

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気づいたら覚えるメロディー。当時の私には稲妻以上の衝撃が走った。深く深く調べれば調べるほど知ってる曲、たくさんあったのに今まで気にも止めていなかったんだなと感じた。

 

サカナクションは今やメジャーデビュー10年以上になる誰もが知ってるバンドだ。

新宝島」などは時々ネタにも使われる程だし、ライブがすごいことでも有名な音の変態バンドと言っても過言ではない。

 

でも別に私はサカナクションが好きでずっと追いかけているわけではない。

ただ私の心情や感情に名前がつけられない何かを上手く歌詞にして、音楽にしている彼らの音が好きなのだ。

 

 

 

そういうわけで、この作品を見た。

 

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実は今回の場所とは違うところで以前上映していたのも見ていて、リバイバル上映とは知らずに今回も見てきた。前とは違った感情や視点で見れたので、結果的にはよかったからいっか。

 

 

※ちょっと上からな感じがするので、あんまり感想とか述べたくはないんですが、今回書きたいことのために必要なので書かせていただきます。

 

vo.の山口さんは北海道出身なだけあって、すごく都会の感覚を歌詞に表現するのがきれい。「モノクロトウキョー」とかは特に聴いててまさしくってくらいに。

それ以外にも人と人との関係や、自分自身と問答する迷路のような感覚を表現する的確な言葉を山口さんは持っている。羨ましくてたまりません。

例えば、「仮面の街」や「エンドレス」は聴いていて苦しくて吐き出したくなるほど悲しいのに納得してしまう。「アイデンティティ」や「アルクアラウンド」で自分自身を探しては知らない世界を学びたくてたまらなくて。

 

その時の感情や、悩み、体調によっては救われるものもあれば、苦しめられるものもある。サカナクションのそういう音楽が私は好きなのだ。

 

 

 

プラネタリウムでは海と東京の空と星の話が出てくる。

東京は、星がないわけではない。ただ、ビルがびっしりそびえ、街灯や車の明かりは絶えることはないあの街では星の輝きなどロウソクの灯りより乏しいものなのだ。

ユリイカ」はそういう感覚を表現していて、寒気がするほどそれはそれは東京なのだ。そういう「東京」を感じる程に海の中にでもいいから倒れたくてたまらなくなる。「ルーキー」のMVのように。

 

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東京で勤めて1年も経っていないが、私は心がオーバーヒートした。

元々常に不安な感情と共に生活をするようなネガティブ思考人間なのもあって、いろんなことが積み重なって心が限界を訴えた。

 

他の人にできることが、自分にはできないのだと、悲しくて仕方がなかった。

できない悔しさをバネにできる人のことをすごく尊敬するし、見習いたいと思う。けれどいつもそれがおかしな方向に振り切れて、結果として自分の内面を傷つけることでしかどうにかすることのできない虚しさ。このままでは延々ループしてしまうのが目に見えている。自分でもそれは危険だと思い、人の力を借りながら少しずつ変えられるようにしていきたい。不安定な私を抜け出したい。そう思って今少しずつ頑張って進んで。

 

 

 

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「さよならはエモーション」が発表されたときから苦しかった私の心を支えてくれた。

 

今でも時々落ち込みたくてたまらない時もあるけれど、

「ヨルヲヌケ アスヲシル」

その時が来るのを待ってプラネタリウムを見終えた。

 

 

今でも星は好きだし、海は嫌いだけど、

繋いでくれたサカナクションの楽曲をこれからも応援したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2度目の劇団四季!!!!!

というわけでタイトルの通りです。

今回は前回同様にディズニー作品で知られる「アラジン」です!!

実写映画も公開しますからね。便乗して観てきました。

 

ミュージカル『アラジン』作品紹介 | 劇団四季【公式サイト】

 

 

ちなみに「アラジン」は私の幼少期からの推し作品です。

最初はまったく作品の中身を知らなくて、ディズ二ープリンセスの中でちょっと違う雰囲気を醸し出していたあの子いいなーくらいだったんです。ところが気付いたらディズニーシーでずっとアラビアンコーストにとどまっているくらいには好きになっていました。

いまだに母には言われますが、キャラバンカルーセル(ディズニーシーのアトラクションで、二階建てのメリーゴーランド)で数台ジーニーさん(※)の木馬があるのですが、それに乗れるまで何度も何度も並ばされたと…。

※私の中ではジーニー(ランプの魔人)→ジーニーさんと呼び、ジャファー(アグラバーの国務大臣)→ジャファー様と呼びます

 

カメラを趣味にしてからは一人でもディズニーへ行って時々キャラバンカルーセル乗ります。20を過ぎてから乗るのもなかなか勇気がいりますが、案外なんとかなりますので皆様もよければぜひに。

 

 

……と、ディズニーシーやアトラクションのことはこのくらいにして、

舞台についての感想です。

今回もアニメ映画を見た程で、かつ舞台のネタバレありきなので、見る方は注意してください。

 

 

 

 

 

数年前から劇団四季でアラジンをやっていたことは知ってはいました。

見に行くことができなかった理由としては舞台の芝居が苦手だったこともありますが、なによりも

 

ジーニーさんが人間過ぎたこと。

が、大きな要因でした。

 

いやあ、、幼少期から私はランプの魔人であるあの変幻自在な楽しいジーニーさんが好きだったのであって人間過ぎるのはちょっと…。それならまだ青いウィル・スミスの方が幾分かジーニーさんだよとか思っていました。

 

すいません。劇団四季なめてました。

あれだけノートルダムの鐘で感銘を受けていたのにもかかわらず…。

 

結論から言えば見た目はめっちゃ人です。人間です。

いや、でもめっちゃジーニーさんなんです。もう詳しくは観てください。(投げやり)

 

その他の苦手だった要因として、なにより

山寺宏一さんじゃないこと これも大きかったですね。

 

いやあ、ジーニーさんといえば山寺さんじゃないですか。

なんなら、山寺さんといえばジーニーさんじゃないですか。

ディズニーから山寺さん失ったらもう終焉をむかえますよ。ってくらいには山寺さんじゃないですか。

実写版の吹き替えでさえ山寺さんですよ。

よかった!ただの青いウィル・スミスにならなくて!別の人が吹き替えならなおのことウィル・スミスにキレてたかもしれない!

 

それくらいには山寺さんの重要性ってすごいんですよ。

おはスタで「おーはー」とかやってた時代の人間からしたら、あれは人間国宝です。

 

 …すみません、また横道に。本題に戻します。

 

とにかく山寺さんじゃないかつめっちゃ人間のジーニーさんですが、

ご安心ください、ちゃんとランプの魔人やってます。

 

おそらく若干喋り方などを寄せているのかもしれませんが、渋くて愉快な魔人でした。

違いがあるとすればディズニー版ははちゃめちゃに変化する楽しいジンで、

舞台版はトークスキルが高過ぎるキレキレの魔人って感じでした。

 

前回ノートルダムの鐘を観た際、舞台ってやっぱり静寂の雰囲気の中、役者さんたちの演技を目に焼き付けるものなのだなと思ったんですが…

 

今回はめっちゃ笑いました!!!

笑っていいんだ!舞台って!!!

 

そういえば開演前の3つのお願いで言ってたもんなぁ…

「どうせ観るなら笑って楽しく」的な…

とそこで思い出したのです。 

 

そういう意味では今までの舞台のイメージと違って面白かったです!!

 

個人的なお気に入りはアニメ映画版とは違い、

アラジンの友人カシーム、オマール、バブカックという3人が出てきます。

そんな3人との掛け合いはすごく笑えます!

(個人的にタイムマシーン3号関くんを彷彿とさせるところがあって好きです。)

 

 

 

 

以下からストーリーにも絡ませて感想を。

 

 

まず、アラジンたち4人は生きるために食料を盗んでいましたが、

アラジンはそんな自分を変えたいと思っています。

原因は彼の母親が亡くなってしまったことにあり、それをきっかけに周りから惨めだと嘲笑されます。

それを聞いて悔しいアラジンは母親にとって自慢の息子になりたかった。そんな願いがあるのですが…

そのわりに盗むんかい。改心しろや。という心のツッコミをしつつ。

 

そんな想いもあるアラジンですから人生一発逆転を狙っているのです。

 

 

一方、お城の中で怒る美女。ジャスミンです。

美女であるも、自由な恋愛を求めている彼女は

何も知らないでお金や名声目当てで来るの各国の王子を次々にお断りをしていきます。

 

昔はなんてわがままな…とか思っていましたが、今になって考えてみればそりゃあ勝手に結婚相手決められようとするって…とジャスミンに同情するばかりです。

でもなあ、美人じゃない人間からしたら選り好みできるなんて羨ましい!

 

と、そんなジャスミンを狙うもう一人の人物。

今作品のヴィランジャファー様です!!!!! やったー!!

私の最推しなんですが、よくヒゲ(笑)とか、きもい(笑)とか言われますけど

その通り過ぎて言い返せない…!

 

いや、違うんです、好きなんですよ。

でも確かにヒゲあるし、ジャスミンに対してセクハラじゃ済まないことまで手を出してはいるんですよ。そりゃあきもいって言われても言い返せない。

じゃあなんで好きなのかっていうと自分が悪いとわかっていてそのためなら手段は選ばないけど頑張ってはいるんですよ!まあ、自分の魔法で催眠術かけてただけですけど…。

なんでしょうね。もうね、究極になると愛おしいって感情になります。もう私もよくわかりません。 

 

さあ、そんなジャファー様と相棒であるイアーゴですが、舞台版も大変悪い仕上がりです。ちなみにイアーゴも人間です。

アニメ映画版でのジャファー様は腹のなかがどす黒いタイプの知力派ヴィランでしたが、舞台版はもう衣装から滲み出る黒さ、悪さ、でも腹に溜めてる。そんな感じでした。なお、イアーゴくんは大変過激派なので、軽率に殺そうとします。「ひざまずかせるのなんて簡単だ、膝から下を切ってしまえばいい」的なセリフは大変過激派でフフっと笑ってしまいました。

 

そんなこんなで魔法のランプが欲しいジャファー様。もにゃもにゃと天の声に聞くとそのランプを取ってこれる選ばれし人はアラジンだと。…と、このあたりからは特別映画版とそう大差はないのですが、ここからはさすが劇団四季!!

舞台セットがギラッギラ!!!!そしてとんでもなく豪華!!!!

洞窟に魔法のランプを取りに行くシーンだけでもいいから観て欲しいくらいにはすごい。語彙が無いからこれ以上の表現のしようがない。

 

また、劇中結構ダンスシーンがメインなんですが、途中で

あれ、これ今インド映画観てる???

って思ってしまいました。いや、めっちゃ踊るやん。キレッキレですやん。

劇団四季だもの!!あたりまえか!!!

衣装もそうですが、布などの小物遣いが大変細かい。

結構上の方の席で観ていたんですが、そういう隙なく細やかなところもしっかり演出しているからこそ感動できるんですね。

 

その演出の中でもやはり第一位は魔法の絨毯に乗るあのシーンです!!!

♪ あ・ほ〜るにゅ〜わ〜 ですよ。

もうあの場面は涙どころじゃないものもぶわああっと出てしまう大好きなシーンなんですが

 

ジャスミンを絨毯へ誘う時、映画版アラジンは

僕を信じろ

って言うんですよね。あのお姫様にですよ??

いくらジーニーさんに魔法でアリ王子にしてもらったとはいえ、すごいセリフなんですよ。ジャスミンも「なんですって?」って一回返してるんです。そりゃそうだ。

このセリフ、すごく俺様感ありますけど、自由を愛し、お城の外へ出たがったジャスミンへの素敵な口説き文句なんですよね。

 

これが!!!!!!!ちょっとちがう!!!!!んです!!!!!!!

 

実写映画版の予告も見たんですが、舞台版でも同じく

「僕を信じて」

だったんですよね。

 

優しい!!!!けどなんかちょっと!!!違う!!!!

 

私個人としてはそのセリフを変えないでほしかったんですよ…。

お姫様に生意気な口ではあるものの、あんなに強気にこれるあのセリフが…よかったのに…とはほんの少ししょんぼりしましたが

全体を通して100点中5000万点でした。それくらい最高の舞台でした。

 

ノートルダムの鐘を観た次の舞台がこのアラジンだったため、

こんなにもハッピーエンドでいいのかと私の不幸好きがざわっとしてしまいましたが。

 

 

今作も劇団四季とディズニーそしてアラン・メンケン氏への大きな感謝を込めて。

 

 

 

 

それでは!!

 

 

取り急ぎの感想

ディズニーの映画でも知られるノートルダムの鐘
見てきました、
劇団四季の舞台です。


『ノートルダムの鐘』作品紹介|劇団四季


舞台劇が苦手だった私が、ここまでハマる程すばらしい作品でした。


全体感想としましては、

とにかくやばい!!!

興奮がおさまらない!!

と思って取り急ぎ感想を残したいです。


がっつりネタバレしていきますので
本編や、舞台が楽しみな人や、お話すら知らないし、ネタバレされたくない人は尚のこと絶対見ないでください。(フリじゃないです)






映画版を見ている前提です。


この舞台のお話はアニメ映画版と違ってる点がいくつかありました。でもこの要素があることによって話に厚みを持ったような気がします。


まずクロード(フロロー)には弟のジェアンがいたという点です。
映画版ではそのような存在がいなかったのですが舞台では彼がジプシーと恋に落ちるシーンが存在します。敬虔な信者である兄、クロードにとってはジェアンは大切な家族であるけど、不届き者的な存在でした。
ジェアンとジプシーの間に産まれた子供がカジモドです。母のジプシーは天然痘に倒れ死亡していたのですが、ジェアンからクロードへ子供が手渡されるのです。映画版では序盤は内容は多少違えど、割とあっさり描かれていたのでこういった理由があると納得できてよかったです。


そんなこんなでカジモドを育てていくのですが、彼の友達として存在していた映画版では3人組の石像、舞台だと多かった!あれ!?
まあ、友達は多い方がいいもんね……。
あとはエスメラルダが飼っていたヤギのジャリもいません。特別何かするわけではないですからね…。


映画でのカジモドは自分で人形を作っていたりもしていましたが、舞台ではそういうことをすることはなかったです。代わりにフロローからきちんとマリア様のお話を聞いてました。偉いなあ、カジモド。


なんやかんやで道化の祭りの日を迎えますが、さすが劇団四季!!!!!というとこがここに随所に詰まってました。
エスメラルダの踊りがすごいのはもちろん、祭りってある程度多めの人数が必要では?と思ってましたがそんなに人数いなくてもしっかり祭りでした…。人があっちこっち入り乱れていたりなど誰一人として無駄な動きしてないんですよね。当たり前なんだと思うんですが、見られているのは正面だけでなく、2階3階、そしてサイド席までいます。どこから見られても美しい、無駄の無さ…。ヒェ〜〜。

あと、セット、演出の凄さもありましたね。
個人的に舞台が苦手な理由に演出を無理にしようとするあまり、状況がうまく表現できてなかったり、ちょっとこれおかしいんじゃない?と半笑いになるようなものがあったからです。その辺の表現がさすがの劇団四季。あらゆるセットが状況によって変化をする感じがますます作品に没頭させました。

エスメラルダが目くらましをする瞬間の火花とか、いろいろすごかったんです。
でも大聖堂の上に登って外に出るシーンや、監獄の表現などが木のハシゴのようなものだけで見事に表されてるんですよ。どこに何があるってわかるんですよ。演劇に関しての知識がほぼ皆無の人間からしてみれば感想がすごいの一点に限ります。あと、語彙力が無いから。
このあたりの演出のすごさは見た人だけがわかることですね。


そして先ほどの祭りによってフロローはエスメラルダへの恋心を更に露にしていきますが、映画版より気持ち悪さ減りましたね。映画版本当に頭おかしいなコイツって思ってたんですけど。(特に罪の炎のあたりです)
また、自分が最も正しいと考えている演技がよかったです。フロローは他と違ってタチの悪いヴィランズなんですがエスメラルダへの気持ちの苦悩や葛藤を含めて映画版より濃いキャラクターでした。あと役者さんがドストライクの顔してた…。

映画版フロローはカジモドのことを嫌いではないものの家族として認めるわけにはいかないし、そんなつもりはないっていう雰囲気だったんですが、舞台版フロローは唯一の家族だったジェアンから託された子供だったからか、カジモドのことを家族として扱い、彼のことを想う演技でした。
醜い怪物だからか無下に扱う気持ちはあれど一応甥っ子だからなという親戚おじさんスタイル。素敵でした。


個人的には何と言っても「ここは聖域だーーー!!」と叫ぶカジモドの姿は名シーンですが、
舞台版は「ここは…サンクチュアリ……聖域なんだ…!」というセリフになっていました。(三点リーダーが合っているかは不明。)
より重みのあるセリフとシーンになっていました。これを聞けただけでチケット分の価値は有りですわ…。(※個人の感想です)





さて、最大の違いはラストにありました。


映画版ではエスメラルダ達を処刑しようとするところでカジモドは救い、最終的にはフィーバスとエスメラルダが結ばれます。
ところが舞台版ではカジモド、エスメラルダが抱き合っている状態で骨が発見されるのです。事件が終わった数年後の話ですが。
ええぇ!!!!???????死んじゃうの!!!!!!?????????っていう驚きしかありませんでした。

映画版では2作目でカジモドに春がやってくるのは知っていましたが、舞台版ではそうはいきません。その1作でラストにしなきゃならないんですから。だからラストが変わるだろうなという予想は私もしていました。まさか死ぬとは……。
途中めちゃくちゃフィーバスといちゃついてたんです。カジモドもエスメラルダの友達としていろいろ頑張っていました。
ところがまさかのラスト。フィーバスはどうしたんだ…。そちらも気になるところでした。


この骨、大聖堂の地下室で見つかったんだそうです。
ジプシー達はフロローに見つかった後、もし隠れ家を移動させてたならエスメラルダのみがパリに残ったことになるんですかね。
その辺ちょっとショックが大きくて後からいろいろ考えたりしました。

またラストの語りでエスメラルダとカジモドの骨を離そうとしたらカジモドの骨が砕けた、とあったんです。
なんというか彼女の最期までいたカジモドの優しさや役割を終えた儚さのようなものがあるような気がしました。
こんな読み取りで果たして合っているのかはわかりませんが…。

あれ?ふと考えて見たら映画版ではフロローだけが死ぬのに対し、舞台版フィーバス以外皆殺し感ありまくりですね。
舞台版脚本おそるべし…。





そうしてフィナーレを迎えますが、最後までわくわくとドキドキが止まらない舞台でした。なにより手汗がすごかった。
拍手は鳴り止むのがいつになるのかわからない程喝采の嵐。サイドや1階辺りはスタンディングでの拍手。
アンコールで何度もキャストさんが現れてくれるのめっちゃ可愛かった…。私はフロローさん役の役者さんに向かって全力で手を振りました。ありがとう…。推せます。



とってもざっくりとした感想や内容でしたが、取り急ぎなのでこのへんで…。
機会があれば別の舞台も行きたいですし、なんならこのノートルダムの鐘今度はS席で見たいです。



舞台ってすごいなあ、と考えを改めさせられる作品でありました。たまたま見たアニメ映画だったとはいえディズニーや劇団四季にとてつもない感謝をしたいです。個人的には音楽が最も好きなのでアラン・メンケン氏にも特に感謝を。皆様もよければ横浜まで足を運んで観てください。
あーーー楽しかった!!!! それでは!!!!!